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藤沢 寿郎
アメリカでは、サスティナブルな建築をつくらないといけないという背景から、環境に配慮した建物をつくった場合のgreen buildingというコミッショニング制度がある。これは、オーナーが設計を依頼するとその段階で、コミッショナーを置き、設計図書がオーナーにとって有利なものか、どれだけの省エネが出来るとかといった環境に配慮する項目をオーナーに代わってコミッショニングする制度である。日本には建物の監査はあるものの、それは設計図書通りできたかのチェックで、制度はまだない。こちらは建物が建つ前にオーナーに代わってコミッショニング出来る制度である。こういうものを、景観・環境を対象にして市の行政の中に入れ込んでいく。住民や市にとってその設計がランドスケープや環境にきちっと配慮されているかをコミッショナーが判断する。北九州市には景観アドバイザー制度があるが、こういうコミッショナー制度を置けば、おそらく住民と行政の間で必ずあるいろいろなトラブルについても第三者が調整することで、いい方向へ進んでいくのではないだろうか。
また、景観・環境への公共投資をやるときには、五〇年や一〇〇年の長いスパンでいいから、本当にそれの資本効率が出て、掛けた金が必ずきちっと回収できるような新しいビジネスの展開をやっていくべきだろう。
もし、私に北九州はどこがいちばんいいですかという質問があれば、一つは二〇〇キロにわたる美しい海岸線、もう一つは重工業地帯の産業財産、それから歴史と文化の街であること。この三つをどう生かすことがキーになる。是非、この美しい歴史と文化を継承して欲しい。
尾島 俊雄
今、マスターアーキテクト、コミッショナー制度にしても、あちこちの街にやりかけてはいるけれど、制度にはなっていない。日本では制度にした途端にどこの官庁がと問題になる。試みは建築ではずいぶん進んではいるとは思うが。
中村 良三
今日ここにいらっしゃる方々は、エムシャーパークの製鉄所跡地が世界遺産になっていると知ってびっくりされている人が多いのではないだろうか。北九州市の方々は自分たちの街にあるものがそんなに素晴らしいことは気づいてないのではないかとおもう。
北九州プリンスホテルは、ホテルの南側が山に向き、北側は三菱化学の工場に向いている。ホテルをつくるとき、三菱化学の人に、南側の方が景色はいいですよ、北側は汚いですからといわれた。私からすれば、化学工場のパイプラインは、何とも不思議な近未来的な景観であり、東京では決して見られない景色なのだが、そうした価値がどうも分かっていないようだ。
もっと、自分たちが持っているものに対して自信を持っていっていいのではないだろうか。
遊園地など人工的につくったものはどうもすぐにあきられてしまう。そんなに長続きしない。鎌倉とか妻籠とか本物の街は、大変人気があり、沢山の観光客を集めている。そこに住みたいという人も増えている。このようにそこに本来あるものを生かした街の在り方があるのではないだろうか。しかし、そうした街も、そのままではダメで、観るに耐えられるようにそれなりに作られ、それなりに演出されていなければならない。例えば厨房も見せている寿司屋はその職人芸と一緒になって大変美しい。あるがままではなく、見られているという視点から、街を見直し、作りなおし、整備することで素晴らしい観光資源として生まれ変わることが可能なのだと思う。
北九州市がそうした素晴らしい街になることを期待している。
尾島 俊雄
市長はいつも二枚の写真をもって、これはかつての北九州、これは今の北九州と言っておられて、もう一枚出せるようになれたらとおっしゃっている。それはどんな写真なのだろうか。
上山 良子
やっぱり場づくりはプロに任せるべきだと思う。つまり、いろんなことをおっしゃる人は沢山いるが、それを技術的にきちんとした形にどうやってするのかはこれは一人で出来るものではない。コラボレーションでつくっていくべきだ。そのときにここにいるみなさんも含めて住民の方が一緒に参画しながらやっていく時代になってきている。「言う」の時代ではなくて「DO」の時代である。
誰にやらせるかという時点でそれを判断する人間が、公の機関にいないこと、これがすごく重要だと思う。アメリカで仕事をしていて感じたことなのだが、公の機関には必ずプロのプランナーやデザイナーが入っている。そのプロたちが巷のデザイン事務所でどういう人の動きがあるかまで把握している。いわゆる利権も含めたものの動かし方のシステムを変えなければ、本当の意味でのいい場所はつくれないのではないか。
サンフランシスコに私がいたときに、ランドスケープ、アーティストそれから建築家、それらの中からコミッショナーが選ばれ、やったものに対して必ずチェックが入る。私たちがデザインし、いいと思ってもそこで蹴られることが何度もある。第三者のチェックを入れると言うことは重要なことだ。公にすることによって、このような仕事を情報公開して広げていく。そういうシステム自身を変えない限り、発信する場所をつくることはなかなか難しい。
インターネットなどで北九州をバーチャルにスタディをしてみたが、この街の景はなかなか見えてこない。ビジュアルに見えるインフォメーションが必要だ。土地の記憶、テクノスケープをランドアートとして捉えたときに、ここの美しさは出てくる。バーチャルでも世界に発信できることが二一世紀の街なのだと思う。私はここで、ここはこうあるべきだと言いたくはない。なぜならプロとしてはここをもっとスタディしてからものをいうべきだと考えている。ただ、視点を変えるお手伝いは出来ると思い、そこにとどめておきたい。
会場から
私は関門海峡を挟んだ山口、下関とワンセットで考えたら何かがあるような気がしてならない。下関の夜景、門司の街並み・・・その他、ぽつぽつといいものがあるとは思うが、それらがネットワークされていたらいいのではないか。
■まとめ
北九州市の景観については、非常に特徴的でありながらも、今日の経済や産業の動向によってそれが生かされず、画一的な整備をされる懸念がある。本シンポでも、大きなポテンシャルのある市の様々な景の資産の活用の仕方について意見が多く出された。
一つは、自然資産の景。山間部に残る自然、及び洞海湾沿いの工場用地に広がる豊かな自然を積極的にネットワークし、市民に開放していくことの必要性が謳われた。様々な形の環境条件の制約がある中で、エコロジカルな繋がりをテコにしながら文化的ネットワークを作り上げていくことが大事である。
また一つには、産業遺産の景。かつて繁栄を極めた製鉄所の景観は、単なる過去の「工業地帯」でとどまるものではなく、そこで暮らしてきた人にとって記憶としての「景」である。まちづくりは完成がなく、常にダイナミックに動いていくものであり、その躍動する姿、その動的な美がその地域の良さを訴えるのではないかということ、それらは広い意味での景観になる。
再開発の進む北九州の景について住民と産・官・学がいま一度、議論を重ねることによって、その持っている良さを再認識し、「景観」をキーワードにしたまちづくりの在り方を内にも外にもアピールしていくことが重要である。
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