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藤沢 寿郎(INAX取締役)
アメリカではgreen development、グリーン開発というようなことが言われていて、エコロジーを考えた新しい開発をするときに、三つのカテゴリーがある。
一つは環境。バートさんのお話にもあったように、自然の生態系をどう再生するか、どう活かしていくか、といったように環境への対応。二つ目は、資源の活用法。資源には土地、電力、水など沢山あるが、たとえば水をどう循環して活用するとか。三つ目は地域社会と文化への対応。

ふじさわ・ひさお


地域の特徴、風習や気候をどう出していくとか、文化的なものをどう残していくかといった三つのカテゴリーに対しての対応を考えることが必要であるといわれる。そういうような観点で、北九州市に対して感じたことは、まずスペースワールドなどの八幡東地区の開発。まさにバートさんの言われたように、土地の再利用という非常に大きなテーマである。
土地の再利用をする場合に、二つの方法がある。一つはgreen fieldの開発。新しい土地を探していく方法で、これはどうしても郊外郊外と土地を求めてしまうから、スプロール現象が起こって、車社会の問題が起こってしまう。そうではなく、現在の北九州市のようにbrown field、いわゆる既存の土地、産業の衰退した後の土地を利用する方法がある。これは、すでにインフラもできていて、公共の交通も非常にいい状態であるから、エネルギーの点から言って非常に有利なのである。こういうbrown fieldの開発という観点では、門司のレトロ地区、八幡東地区でも、やはりもっと残してほしかった。
もう一つの地域として門司のレトロ地区は、観光の場所としては私は非常に好きだし、すばらしい観光地だと思うのだが、あの建物の中にたとえば北九州市の観光課が入るとか、地域の民間企業の事務所が入るとか、もっと複合化して、ビジネスと観光が併用したまちになっていけばいい。観光だけだと、将来メンテナンス等の問題もあり収入が少ない、来る人が限られるといった問題が起こる可能性がある。もっとビジネスを考えたまちづくりが必要ではないだろうか。
それから、景観材料で地域性を表現していくということ。このあたりの地域の材料とは、コウサイ煉瓦。北九州市デザイン課がカラー・ルネサンスという試みを持っておりそれは非常に評価できるのだが、地域の景観材料、舗装材、パブリック・ファニチャーを使っていくときに、できれば、門司で使われている照明、東田地区で使われている照明などがデザイン的に同じであれば、市としての一体感が出て地域性が出るのではないだろうか。プロジェクトごとのマスター・アーキテクトはいるようだが、北九州市全体のマスター・アーキテクトがあればもう少し、統一感が出る。

中村 良三(西武建設専務取締役)
北九州市とのおつきあいはもう15年くらいになる。
最初に私が北九州市に来たのは、黒崎の三菱化成(今の三菱化学)社宅跡地の利用計画についての相談を受けた時である。西武グループでは様々な観光開発のプロジェクト、例えば苗場・軽井沢・西武園遊園地等に関わってきたことから、西武グループとして何ができるかということであった。昭和58年の冬、初めて北九州市に来たときは、非常に寒く、ちょうど雪が降っており、裏日本の寂れた感じの日だった。今にして思えばそのころが北九州市にとって一番の底のときだった。
「こんなところで何をするの」と言うのが正直な感じだった。ほとんどの社宅は空き家になっており、塀も黒くくすんでおり、人通りもなく、物騒な感すらあった。10万坪くらいのその敷地は、熊西緑道と長崎街道グリーンベルトに囲まれてあった。そのグリーンベルトに囲まれて小さな街をつくることによって、その小さな街が周りの景観や街の姿を変えていくのではないかと考えた。当時西武グループでは品川にホテルを核にして、いろいろなスポーツ施設や店舗を加えた複合施設を経営していた。その品川プリンスホテルをモデルにホテルを核として、テニスコートとか、ショッピングセンター、プールなどの入った複合施設をつくったらどうかと提案をした。それが今の北九州プリンスホテルである。先ほどのバートさんのお話の中で、テニスコートではなく、もっと密度の高い利用計画とすべきではないか?という指摘があったが、当時の状況ではテニスコート以上に密度の高い利用計画は難しいということと、23面という日本一の規模のテニスコートをつくることでテニスの全国大会等を誘致し、特徴あるホテルを作ろうとした。この北九州プリンスホテルは北九州市が変わる大きな契機になったとおもっている。

響灘の全国都市緑化フェアでは総合プロデューサーを勤めさせていただいたが、その時に感じたのは、この若松地区には大変きれいな緑がある。玄界灘に面しては大変美しい海岸線がある。帆柱山、皿倉山、山田緑地には素晴らしい緑がある。じつは北九州市には素晴らしい自然が充分にある。市の中心にはあんなに広い水面積の洞海湾が大きな池のようにある。北九州市の資料を読むと、市の公園面積は京都市のそれより三倍もある。緑、水とも量としては三倍あっても、市民がそれを感じることはほとんどないということが問題といえる。

なかむら・りょうぞう


洞海湾は、海に面した土地がすべて工場用地になっていて、市民が洞海湾に直接触れることは殆どない。私が手がけた広島プリンスホテルの広島市も同じように、生活の中で市民が瀬戸内海に面していることを感じることがない。瀬戸内海に面した土地は、殆ど三菱重工とマツダの工場用地になってしまっているからだ。
海が北九州市の市民の生活に関わっていない。みなさんは子供の頃に、海や川で遊んだ経験をお持ちだと思うが、そういった、生活の中に水を感じる、緑を感じるには、それなりの仕掛けをしてやらないとならない。洞海湾をこれからどうするかは、これからの北九州市をどうするかといえるほど大きな課題だろう。この大きな可能性を抱え、構想を描いてくのはたいへん素晴らしいこといえるが、そのためにはかなり綿密で、戦略的な仕掛けをしなければ実現させることは難しい。

バートさんから、ドイツのエムシャーパークでは、製鉄所跡地が観光の対象になっているとのお話があった。これは北九州市にとって大変参考になるお話だと思う。ホテルをつくっただけでは、観光客を誘致することはできない。北九州市にはいわゆる観光資源はないといっていい位少ない。エムシャーパークのように、近代産業の遺産としての工場を観ること、そして現に逞しく動いている工場を見ることはそれなりに楽しく、刺激的なことだとおもう。北九州プリンスホテルでは工場見学と宿泊をセットにしたツアーを組んで売っている。工場と観光をどうむすびつけ、その関係をどう育てていくかが重要なのだとおもう。北九州市内に工場をもつ新日鉄、三菱化学、住友金属等の大企業、それに多種多様の中小の企業が一体になってこうした観光のあり方を育てていってほしい。都市観光は現代のキーワードといえるが、工場等の産業観光は北九州市だから可能な都市観光だといえる。今まで北九州市はひたすらつくる、働くということで街があったが、観光や遊びという視点で、その街を組み直してみると、全然違った街の姿が現れてくるのではないだろうか。こうした街はそこに住む市民にとっても住み易い街であることとおもう。


上山 良子(上山良子ランドスケープデザイン研究所所長)
私はランドスケープの専門から話をしたい。私がいつも考えている、ランドスケープをつくること、どういうことをキーワードとしてやっているかについて、話をしたい。
題は「百年の物語」。まず、百年とは一つの系であると考える。
1:バイオミミクリー
カナダのベニウスという人は最近「生命に学ぶ(バイオミミクリー)」ということを言い出したジャーナリスト。自然をモデルとしてそのデザインとかプロセスを模倣し、ヒントを得て、人類の様々な問題を解いていくことは全く新しい科学だと彼女は言っている。たとえば、アワビの殻はとても綺麗である。これをつくろうと思うと装飾を含めてエネルギーがかかるが、ところがアワビは海の底で時間をかけてつくられており、しかも食べられてしまうと地球の上でもう一度再生する。そうすると私たちの持っている技術とは本当に技術だったのだろうか?技術と普段言っていることは本当は技術ではないのではないか?
2:緑を師として生まれる(略)
3:ASLA(アメリカランドスケープ協会)百年祭
ASLAは去年(一九九九)百年祭をした。オルムステッドという人はランドスケープ・アーキテクチャという言葉をアメリカで初めて広めた人でランドスケープ・アーキテクトを名乗った。それから一四〇年経った。つまり百年あれば、いろんなことを社会に貢献できる。つまりランドスケープとは、世界のために、そこの土地にあったものを計画したり設計したりする領域であるといわれており、それを考えると百年の間にあらゆること、いろんな社会基盤をランドスケープという職域がずいぶんつくってきたのである。私たちは表にでない。社会の基盤の裏を作ってきた。それが私たちの仕事だと思っている。
4:緑・公共領域に対する意識(略)
5:場のモニュメンタリティ
もう一つ、さっきバートさんもおっしゃっていたけれど、ここの場所にしかないもの、その場所にあるものをどうやって生かすか。場、そのものがモニュメンタルなのだ。例えば八幡の景の美しさ、これはそれなりの美しさがあるわけで、そこの場に来なければわからないものである。そこへ行きたいと思うこと、ここへ来て何か新しいことを発見する場自身がモニュメンタルである、そういう場所を作っていかなければいけない。
6:土地の記憶を生かした場づくり(フィンランド・トゥロンラッティ湖)
これは私たちがフィンランドのヘルシンキで招待コンペに出した二年前のものだが、このとき、ヘルシンキの土地の記憶を私たち外国人がどうやってここから引き出していこうかと、毎日思案した。場所はちょうどヘルシンキの中央駅の裏側なので何の変哲もないところだが、行ってみて、その空間を感じ、そこの土地の記憶を生かした場作りをどうやってやっていったらよいかを私たちが見つけだしていった。
7:テクノスケープの美(東京湾臨海道路)
テクノスケープという話。バートさんのお話の中にも、ここはテクノロジーそのものが美しいという。テクノロジーそのものの美しさのは二〇世紀を代表とした美しさ、それは私どもの言葉ではエンジニアリング・オブジェクトというのだけれど、ああいう鉄塔等の美しさはテクノスケープである。それを感じるのは私たちばかりではなく、今の若者にもテクノロジーの美しさの景がどんどん無くなることが悲しいという話が出てくる。そこが無くなっても、土地の記憶は何かの形で残していかなくてはならない、そのテクノスケープの美というのをどうやって残していったらよいのか。実は私どもは東京湾の臨海道路の立抗計画をやらされている。元々江戸の城塞をイメージして、ほとんどその存在感をなくせるような形で保っており、瓦を本当は使いたかったのだが、あるがままの美しさ、立抗がすうっと伸びている様をそのまま景にしてみた。
8:シーランチ・コラボレーション(略)
9:熱帯雨林に学ぶ(略)
10:フィンランドの小学校の環境教育
もう一つ大切なのはやはり環境教育ではないだろうか。フィンランドの小学校の環境教育に使われている教科書ではシングルハウジングで占める土地の広さ、高層建物の占める土地の広さを示していて、建物を高くするとこれだけの土地で済んでほかが全部緑になることを小学校の高学年の教科書で教えている。
さらには、街区から建築の図面までだんだんスケールをアップしていく、この概念を小学校の高学年で教えている。自分の家を建てるときに平屋が周りに建っていれば平屋にすべきだし、陸屋根だったら陸屋根、自分だけが違うものにするのはおかしいと小学校の教科書に出てくる。申請図面は一〇〇分の一だけど、実施図面は五〇分の一ですよとまで載っている。町というものに対して、小学校の環境教育ですでにこれだけのことをやっていること、これはすごい。
11:ランドアート・ノンデザインの美
その土地自身をランドアートとして捉える、さっきクリストの話が出ましたが、クリストが土地の一つの場所性を自分でキャッチして、表現する、これはまさしくランドアート。ランドスケープというのはランドアートと対置されており、ランドスケープがランドアート的な考え方を受け入れるべきだと私はいつも思っている。テクノロジーの考え方、テクノスケープを考えると、例えば空港とは20世紀のテクノロジーのランドアートであるべきだと思う。

あれだけの長さの滑走路は大きなテクノスケープ。ところが、いつもそこに真四角の豆腐のような建物が出来てつながってしまう、そういうものよりも、上から見てここが全体としてのランドアートとして考えるべきなのではないか。それ自身はもしかすると一生懸命考えた人があまりデザイン的なことを考えなくても美しいものが出来るわけで、そのノンデザインの美しさとはこの北九州の中にすごくいっぱいあるのではないか。そういうものをうまく繰り出して、そしてその中から21世紀の新しい美しさ、土地の記憶を生かした美しさは作れるのではないだろうか。

うえやま・りょうこ

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