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【レポート】

 

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【裏建築散歩in上海】

 上海蟹がおいしい季節である10月に上海に行ってきました。
 あまり建築を見て回ることは出来ませんでしたが、南京路から豫園にかけて探索をしましたので、裏建築散歩としてレポートします。
 少し長い文章ですが力作ですので、今回はあえて写真は掲載しません。
ご了承ください。


 

【1日目】
 定刻を少し過ぎて、上海に到着。

リニアモーターカーを横目で見ながらD大学ホテルに移動。
荷物をといて着替えをすませ、タクシーを呼んで「新天地」に移動。

5年前には工事中だった新天地は、すっかり整備されて、人の流れの途絶えないとても華やかな通りになっていた。まっすぐにのびた石畳の道を進み、待ち合わせの「新吉士」を目指す。中国の都市部では街が道路で東西南北に区分されているため、方角さえ間違えなければ、少々の困難があってもきちんと目的地にたどり着くことが出来る。

大通りを隔てて輝くテレビ塔は何色もの光にまぶしく彩られ、空に高く影をつくるビルの数は倍になっていた。上海は、わたしのしっている中国ではなくて、西欧のお金と思想がごたごたと入り混じったような、ふしぎな香りがした。

「新吉士」の外には、長い行列が出来ていた。
入口に立つ大柄の女性に予約していることを告げると、細いわき道に面したするりと長い小部屋に案内された。舞台装置のような大きな木戸や表にぶらさがる濃く赤いランタンから想像すると、拍子抜けするほどあっけらかんとした、ごくふつうの白い壁の部屋だった。すきな雰囲気の絵が掛かっていて、気持ちのよい音楽が流れていた。ガラスの向こうにはマクドナルドやケンタッキーの看板が掲げられ、向かいのテーブルにはバドワイザーが運ばれる。世の中が均一化されるというのはこういうことなのかもしれないなあと、思った。
上海蟹を一匹ずつ。それから、季節の野菜の炒め物ととうもろこしのスープと三鮮豆腐とスモークダックと炒飯を注文する。ぬるいビールで乾杯をして、ふたりで食べるには多すぎる夕食を済ませると、先生と合流して、ホテルに戻る。

ホテルで一休みしてから、マッサージ店に移動する。
半分だけ灯りのついたロビーを抜けて、ごとごと鈍い音のするエレベータで4階に上がる。薄暗いフロアで受付を済ませ、20と書かれた小部屋へ入った。
120分牛乳水晶コース。希望した中薬式は、流行らないのだという。だぶだぶの半パンに着替え、ごろりと横たわる。青いビニールを張った桶にお湯が注がれ、足浴の準備が整った。かかとの方からおそるおそる足をつけると、ほんのり白いお湯のかたまりがもろもろと崩れ、ふくらはぎまでやわらかく包んだ。若い女性が正面に腰をかけ、クリームを手に取り、右足から順にマッサージを施す。ひびきわたるいびきにくすくす笑いが混じる中、こころもからだもやわらかく解きほぐされた。
ひとまわりちいさくなった足で、ホテルまで歩く。「24時間自助餐」の黄色い看板に足を止め、水気の多い鍋物を少しと野菜入りワンタンを食す。それから「方便店」に立寄り飲み水を確保すると、時計の針が1時を回り2時を過ぎたころ、ようやくホテルへたどり着いた。明朝、8時出発予定。

【2日目】
ホテルを出て、近くの小吃屋台で朝食をとる。
湯気の上がるおおきな蒸篭に、白く丸くつやつやとした包子がこちら向きに行儀よく並ぶ。小包子4つで1元。「猪肉、猪肉」「牛肉、牛肉」。袋いっぱいに買っていく地元の人たちについて、1元分の猪肉小包子を手にすると、左隣の焼餅屋台を覗く。鉄板の上に薄くのばしたタマゴ色の生地にざく切りのねぎと筍が盛られ、香ばしく焼き上がる。油のにおいに誘われて、焼き立てを一枚。向かいの油条屋台から、胡麻付きの揚げパイを一枚。それぞれ、一枚0.5元。熱々をほおばりながら、道を挟んだジューススタンドで飲み物を購入する。プラスチックだらけの店内に腰を落ち着け、珍珠乃茶とよくわからない生ジュースを注文した。すぐに手渡された珍珠乃茶は、タピオカの入った口当たりのよいホットミルクのような飲物で、おくれて出てきたのは、ものすごく青々とした植物のにおいの強烈な人参のジュースだった。人参ジュースなど二度と頼むまいと心に決めて、大学の前でタクシーを拾い、市内に出る。目的地は、上海美術館。

上海美術館。http://www.cnarts.net/shanghaiart/
1933年に竣工された競馬場のクラブハウスが改修されたもので、英国風の外観は人目を引く。しかし、横に並ぶ博物館のほうが人気があるようで(実際、日本からのツアーに美術館が組み込まれることは少ない)、館内には日本人観光客の姿はさほどみられなかった。入場料は、一般20元、学生5元。北九州市立大学の学生証を提示すると怪訝な顔をされたが、5元の入場券を渡してくれた。
「2004上海双年展」(Shanghai Biennale 2004.9.29-11/28)の真っ最中で、館内には「影像生存」 (Techniques of the Visible)をテーマにした作品がひしめき合っていて、それは展示室にとどまらず、階段にも非常口にも、あふれんばかりのエネルギーが満ちていた。上海でもどこでもない何か特別な場所に来たような気がして、わたしは、出来ることならここを出たくないと思ったし、ここで時間が止まってしまえばいいのにとさえ思った。けれども、当然のことながら美術館には閉館時間があって、わたしたちにも次の予定が入っていて、ひととおりを巡ったところでおひさまの降り注ぐ出口に行き着いてしまった。

美術館を出て外灘を散策し、豫園を目指す。

石造りの街並みは日ごろ見慣れている日本の風景とは様相が異なる。重厚で背の高いドアや細工の施された柱や窓など租界の時代をそのまま背負ったような豪奢な佇まいの建築物はそれぞれ威厳に溢れ、点在する派手な看板や目新しいディスプレイはアンバランスな魅了をたたえる。和平飯店や旧ジャーディン&マセソン商会、旧横浜正金銀行、旧中国銀行本店など見所もたくさん。建築のことをよくわからないわたしは、たぶん損をしているのだろうなと思った。

豫園で、おそい昼食。

名物の「湯包」を求め、上海で最も有名な(つまり、世界で最も有名な)専門店へ急ぐ。2時を回っても行列は途切れない。朝8時から歩き続けたわたしたちは、しばしの休憩を兼ねて、3階の点心楼へ上る。1階、2階、3階と上がっていくに従い、メニューの値段も跳ね上がる。3階はおそらく観光客が中心で、ここには日本語のメニューも揃っていた。カニ肉入り小龍包、春巻き、焼売、揚げパン、卵スープなど盛りだくさんの80元の点心コースを注文した。そんなにたくさん食べられないわといいながら、やっぱり、残さずきれいに平らげてしまった。

豫園界隈で、土産店を散策。

どこに行っても「ロレクスオメガヤスイヨ」と、声を掛けられた。印鑑屋でも茶器の店でも、明らかに胡散臭い腕時計を見せてくれる。よく聞くと「本物ソクリネ」。呼び込みの店員を振り切って、黄緑色のマフラーと、どうしようもないような毛沢東の卓上カレンダーと、伝統的な切り絵のうつくしいやや大きめのカレンダーを購入した。

一旦ホテルに戻り、休憩。

呼び出しの電話に起こされて、再び、市内へ。
正大広場の背の高いビルに入る13階は改装中で営業店舗はわずか二店。遠く見える灯りと人の気配を頼りに「現代」を探す。外灘を見下ろす窓側の席に案内され、本日の反省会。よく冷えたギネスビールとマルガリータで乾杯をして、ドレッシングのざぶざぶかかったシーザーサラダを注文、広東風の炒麺、オイスターロール、えびのオーブン焼、それから大好きな南瓜餅を食す。

ふくれたお腹をかかえて、テレビ塔の下まで歩き、タクシーを拾い、マッサージ店へ移動。
2日目の今日は、バラ水晶マッサージ。昨日のミルク水晶のバラ香バージョンのようだ。一日動きまわっていたせいか、仰向けになったところから記憶がなくなってしまう。エレベータを降りると、時計の長針がすでに二周りしていた。


【3日目】
ホテルに併設された餐庁で、お粥や餃子の朝食をとる。

8時半にホテル出発。
今日は、上海市から海寧市に移動。2時間の道のりが交通渋滞のため4時間かかってしまったらしい。しかし、8割方眠ったまま移動したため、問題ない(と、思う)。移動中ところどころに見た外の眺めは、田んぼと川と、古びたレンガ造りの民家がほとんどで、先ほどまでいた上海市内とは全く違う景色だった。わたしが例えば中国人で、お金を充分に持っていたならば、きっと上海に暮らしたいと思うだろうけれども、ひとの生活としてはこちらの方が正しいような気もした。

海寧市では昼も夜もご馳走攻めにあい、あまりの贅沢ぶりに天誅が下ったのか、蒸し蟹のはさみで右手の人差し指の先を負傷した。本来の目的である某工場の視察ならびにその夜の出来事についてはトップシークレットのため、封印。というわけで、4日目になだれこみ。帰国の途をたどる。


【おしまい】
福岡に向かう飛行機で、わたしは、ほんのちょっとだけ泣いた。

通り過ぎていく全てのことがいとおしくて、これが全部過去になってしまうのかと考えると、夕焼け空を見てかなしいと涙をこぼした三歳の頃と同じように、せつなさで胸がくるしくなってどうしたらいいのかわからなくなってしまったのだと思う。

過ぎた時間は取り戻せなくても、きれいな想い出は、何度もなぞることが出来る。

その証拠に、美術館で、こころの奥がぴりぴりざわざわするような作品に出会えたことは、今もこうしてきちんと思い出すことが出来るし、それから、この旅の間じゅう、ずっと隣にいてくれたひとのあたたかさとかにおいとかやさしさとか、たぶんこのさきもずっとわすれないと思うし、わすれられないと思うし、こういう想いはわたしのからだをぐるぐるまわってわたしのこころを強くしていくのだろうと思った。

(おがわ)


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