日本とヨーロッパの工業都市における産業構造の変遷と都市基盤整備に関する比較研究

(博士論文)

概要
第1章「はじめに」
第2章「日本及びヨーロッパにおける産業構造の変遷に関する研究」
第3章「エムシャー工業地帯における産業構造と都市基盤の変遷に関する研究」
第4章「北九州工業地帯における産業構造と都市基盤の変遷に関する研究」
第5章「エムシャー工業地帯と北九州工業地帯における産業構造と都市基盤の変遷に関する比較研究」
第6章「魚津市における産業構造の変遷及び工場跡地の再開発に関する研究」
第7章「結論と将来展望」
 産業革命以後現在に至るまで、ヨーロッパでは僅か250年間で、また日本の場合はヨーロッパの半分の125年間で、第一次産業から第二次産業へと変化してきた。第二次産業期は工業都市に人口が急激に集中し、重厚長大型産業を支えるために、鉄道、運河、道路、港のようなインフラを中心とした工場や、エネルギープラント等、様々な産業関連施設が必要である。ところが、1975年代以後、第二次から第三次産業に変換する間、それまでの基幹産業が衰退し、工業用インフラと産業施設が工場跡地に残されている。ヨーロッパの工業都市は変遷期間も長かったことにより、環境へのインパクトも少なく、そのインフラは次の都市環境への再利用が容易となることが推測される。一方、日本の工業化に要した期間はあまりにも短く、より多くの自然環境を破壊し、又、急激な工業インフラの整備は、第三次産業の都市形態の中での再利用が非常に困難となることが予測される。本研究では、日本とヨーロッパの工業都市、具体的には日本の北九州工業地帯とドイツのエムシャー流域の産業化過程を比較し、さらに、日本の地方産業都市における工場跡地の再開発に関する研究を行う。
 第1章は、「はじめに」と題し、従来研究と本研究の位置づけを説明する。産業構造の主要素である第一次産業、第二次産業、第三次産業の三つの産業期に分類し、第二次産業期の中心である工業都市における産業構造の変遷、及び変遷のもたらした影響を検討する。工業都市構造の変遷は三段階で、第一段階では水路ネットワーク、第二段階では鉄道ネットワーク、第三段階では道路及び通信ネットワークを中心としてある。第二次産業期には、第一次産業期にあった自然環境を徹底的に工業都市の形態に変形してきた。第二次産業都市化の基本的なパターンとしては、もともと資源があった地域を中心として工業化されたものと、既存の都市が労働力としての人材の豊富さで製造工業都市に変わったものがある。また、第三次産業期には、第二次産業期の都市形態を引き受けたが、多くの自然環境は既に破壊されてしまっていた経緯がある。以上の変遷に伴った様々な問題点を明らかにしていく研究の必要性を述べている。
 第2章では、「日本及びヨーロッパにおける産業構造の変遷に関する研究」と題し、各々の産業構造の比較調査を行った。ヨーロッパにおいてはフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、そしてイギリスの五ヶ国を選択した。各国において人口成長、産業別人口、経済面、産業開発及び産業立地面で検討した結果として、次のことを明らかにした。人口成長は、日本だけでなく、ヨーロッパ各国でも工業化が進んだ時期に急速な成長をし、産業別人口の変遷では日本及びヨーロッパ各国共に、第一次産業人口、第二次産業人口が減少し、第三次産業別人口が増加している。また、ヨーロッパでは第二次産業期が長期に及び、これを国別に見ると、イギリスが最も長く、その次にドイツ、フランス、イタリア、スペインの順序で第二次産業期が短期間となり第三次産業へと移行しているのが明らかとなった。これを日本の場合で見ると、この第二次産業期が非常に短期間であることがわかった。ヨーロッパと同じく日本でも、1960年代以後、基幹産業に関連する都市が衰退し、このために多くの工場跡地が現在の工業都市に存在しているが、大部分のインフラと産業施設は第三次産業期において再利用することが困難となることが推測される。
 第3章では、「エムシャー工業地帯における産業構造と都市基盤の変遷に関する研究」と題し、次のような結果を得た。エムシャー工業地帯では、工業化と共に人口が急激に増加したが、その後の産業構造の変遷により、第一次、二次産業に従事する人口が減少し、第三次産業に従事する人口は増加していることが明らかとなった。1970年以後、失業率が急激に増加して、1980年の末に少しの減少をみたが、1994年までに再び増加して12.9%に至っている。経済面に関してみると、1960年以後、第二次産業のうち、特に炭鉱業及び重工業と関連のある産業が衰退した。第一次産業期から第二次および第二次から第三次産業への変遷は長期間にわたってゆるやかに起こっている。そして現在エムシャー工業地帯では、生態学的配慮を重視した再開発計画により、第二次産業期に構築された基盤をもとに、さらに自然に優しい水路及び緑を中心とした産業地域、インフラの復元が図られている。1989年以後、エムシャー工業地帯は「エムシャー・ランドスケープ・パーク」をテーマとして再生されている。
 第4章では「北九州工業地帯における産業構造と都市基盤の変遷に関する研究」と題し、次のような結果を得た。第3章におけるエムシャー工業地帯と同様に、北九州工業地帯の人口は工業化と共に急激に増加したが、その後の産業構造の変化により、第一次産業及び第二次産業に従事する人口は減少し、第三次産業に従事する人口が増加してきた。失業率は増加しているが、エムシャー工業地帯と比べて北九州工業地帯のほうが低い。産業の面から見ると、炭鉱業、あるいは他の重工業のような産業は衰退し、電気器具産業、金属業、食品業、印刷業に関連した産業の成長がみられる。都市環境の面から見ると、北九州工業地帯は内陸での空地の不足のため、内海面の埋め立てによって工業地域を拡大した。北九州工業地帯における産業立地は埋め立てによって海へと移動し、拡大している。工業地帯では材料資源及び製品の輸送手段が重要で、ここでは海上運搬が利用され、洞海湾の八幡製鉄工場は埋立地による最初の工業団地となった。工業団地が海へ伸びたのは、後背地は山に囲まれた地域であり、海岸と山との間の土地利用は住宅地化していった理由による。従って、新しい工場の建設には海の埋め立てによる新しい工場用地の開発が必要であった。埋立地による産業地域の拡張は、結果として海岸線と河川環境に影響を与えた。北九州工業地帯での急速な産業開発は、工業化都市としての単一目的性を持つ都市計画でインフラが築かれてきたため、エムシャー工業地帯の水路の復元のように、北九州工業地帯の場合は埋立地と海岸線を第一次産業主体の時期のような元の環境へ戻すことはほとんど不可能となっている。
 第5章では、「エムシャー工業地帯と北九州工業地帯における産業構造と都市基盤の変遷に関する比較研究」と題し、第三、四章に検討した工業地帯の比較調査を行っている。両工業地帯では、第二次産業期における人口は、産業化と共に急激に増加した。産業別人口において、第一次産業及び第二次産業に従事する人口は減少し、第三次産業に従事する人口は増加してきたことが明らかとなった。都市環境の面からみると、両工業地帯では第二次産業期に産業地域が拡大したことが明らかになった。しかし、エムシャー工業地帯の産業化期間が長かったことと比べ、北九州工業地帯の産業化期間は短くなっている。産業開発を主な目的とした無計画なインフラ整備は北九州工業地帯において顕著であり、これは第二次産業期から第三次産業期への変遷においてそれらを再利用することが困難となることが明らかとなった。エムシャー工業地帯における産業変遷形態は、環境へのインパクトをより少なくし、長期間にわたって発展したことで、そのインフラは第二次産業期から第三次産業期への変遷において再利用が容易となることが明らかとなった。
 第6章は、「魚津市における産業構造の変遷及び工場跡地の再開発に関する研究」と題し、産業都市の変遷に関する研究の具体的事例として、富山県魚津市を取り上げ、魚津市の基幹産業であった化学工場の衰退という問題に基づき、今後の魚津市における産業都市としての再生のあり方を、工場跡地及び新しいまちづくりを中心として検討した。そして、再生案とまちづくりの基本方針の策定を提案するため、検討方法として住民参加型のデルファイ調査を実施した。第1段階として、1,000人の住民にデルファイアンケートを行い、第2段階では、このアンケートの結果に基づいて、100人の住民に詳細なヒアリングを行った。第3段階では、両アンケート及びヒアリングに基づいた基本的な再開発計画案を提案し、第4段階では、この計画案をシンポジウムにおいて説明した上で、シンポジウムの参加者に再びアンケート調査を実施した。最終段階では、シンポジウムで行われたアンケートの結果を反映した基本計画を提案した。結果として、この住民の意思を十分に考慮する手法の新たな展開が、魚津市における再開発計画の方針決定に大きく寄与する可能性を明らかにした。そして、次のように計画が展開された。1)住民参加による新しいまちづくりの手法が確立した。2)この過程によって、魚津市における工場跡地の再開発だけでなく、都市全体の再開発、あるいは旧市街地の再生、魚津市の河川の再生、そしてまちづくりにおける基本方針を策定する可能性を見出し、また、工場跡地の再開発では、科学研究センター、密接な産学協同の研究コンソーシアム構想、さらに、地場産業に基づいた新しい産業開発研究所を設立する計画案を決定した。
 第7章は「結論と将来展望」として、各章における結論を要約した上で、将来への展望を記述している。日本とヨーロッパ各国の経験から、工業を中心とする産業発展は環境面において後の時代に継続的な影響を与える可能性があることが明らかとなった。現在、中国や東南アジアにおいては急速な工業化と産業発展が展開されているが、そこでは本論で得た問題点と結果を事前に回避する都市計画的な配慮が重要である。即ち、第二次産業主体の時期の基盤整備を計画する段階で、後の第三次産業主体の時期に寄与する整備計画であることを予測しながら、構想段階で十分考慮することが必要であると思われる。